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自分がいろいろと話す立場になってわかったことがある。
大概の人は、自ら"壁"を作り上げているということである。
やりたいことがある、してみたいことがある。
でも、できないんですとそのあとに続く。その言い訳として、忙しいであったり、才能がないとかいう。
もちろんのことながら、理想通りにできることはほぼほぼありえないことではある。
ずっとやり続けたことであっても、理想と違うことはよくあることなのだが。
しかしながら、やりたいことはやってみる。つべこべ言わずやる。
このことがやはり大事なのではないかと思っている。
それはなぜか。
やはり一度きりしかない人生を謳歌しないことは損だということに尽きる。
泥臭かろうが、みっともなかろうが、やりたいことを貫き通した方がいいのは、やはり自分本位だからだ。
自分本位でやって、自分が納得して、それで周りが理解してくれる。
このことこそが最良ではあるわけども、周りの理解を大事にしすぎるのは良くない。
周囲はあくまでも付属品。どうしてもソリが合わない人もいるし、中には強烈な共感する人もいる。
そういうのが人生だ。
だから、他人は気にせずやりたいことを貫き通していく。

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」

さながら、人生のさすらい人である。

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久々にブログの管理画面を開いた。
怒涛のように観測から帰ってきた後、解析や議論をしたりしていたこともあった。
それ以外には、やることが増えたことも関係していてなかなか触ることがなかった。
久々にいじっているのは恩師のコメントがあったからだ。
それを忘れるほど恩知らずではない。

最近の近況は、とにかく修士課程を終えるために必死でやることを詰めているということだ。
そもそも先人はあまりいない分野で、なかなかに苦労の連続ではあるが、やりがいを感じる。
失敗も多いが、それでもしょぼくれてないでやることを堅実にしているつもりだ。
つい3週間くらい前にシンポジウムで発表したが、I先生に「堅実な研究だね」と言ってくれたことは印象的であった。
ナンバーワンより、オンリーワンがいいと思ってきた自分としては、こう評価してもらえるとありがたい。
研究の世界に身を投じてそろそろ2年以上になる。
有名でなければ自分の研究に見向きもされないというところもあるが、そもそも研究は自分の飽くなき探究心が突き動かすものであり、問題設定は自分がしているものだ。
もちろん、それを他人の研究とリンクさせ、その重要性を語ることも大事ではあることだが、自分が知りたいことを無我夢中でやることこそが至上の喜びだと思う。
そう思うと、名誉というのは虚飾であり、実が全くない。成果を期待されても、堅実な研究をしない限り実を結ばない。
寺田寅彦の書いたエッセイにあるように、疑いを持ってあたるというの堅実な研究をするという観点においてはいい姿勢なのかもしれない。
なので、随分と前のことのように思えるが、日本で起きた最大級の研究捏造は私には非常に不可解なことにしか思えない。
自分が知りたいことではなくなったことが、最大の不幸なのかもしれない。もしくは、知りたいことであったはずなのに、到底受け入れられないものであったのか。
なんにせよ、自分が論文を書く立場になって、どうしてあんな論文を捏造したのか理解には苦しんでいる。
人間人生の選択はいつも唐突にやってくることがある。
そういう時、どう判断してやればよかったのかを後から自問自答するし、後悔ばかりが出てくることもある。
自分もそういう経験を味わったことがある。
時に受験ではそれで、私事になるが、例を挙げてみる。
自分はK大の理学部を志望していた。その理由は、憧れの先生がいたからである。
憧れの先生の下で学問をすることを夢見ていた。そして、それしかないと思い込んでいた。
しかし、よく考えてみると大学ではあまり研究というのをやらない。それこそ手取り足取りやるような形で、自分一人で何かするという感じがしない。
だから、たとえ大学でK大学にいけなくても大学院で入ればよかったのである。
その結果志望のK大学は落ち、滑り止めもひとつ落ち、自分の希望していなかった別の大学の工学部に行ったのだ。
これは、ある意味思い込みすぎた所為だと言える。
後から思えば、滑り止めを前期試験にすればもしかすると通っていたと思う。
一方で、うじうじ悩むのも良くない。
今私はとにかく、心の中で大変そうだなっと思ってもやってみようという感じで行動して、だいたい良い結果に結びつくことが多い。
予測できないというのは不安に直結するし、失敗したらどうしようとか思ってしまうが、それでもやらないよりかはやったほうがどんな結果であれ、自分に結びつく。
人間はとにかく恐怖に怯えてしまう生き物だ。リスクをどうしても考えてしまう。でも、たまにリスクなんて考えずにどーんと飛び込んでみる。そういうことも必要だと思う。
人生とは不思議なもので、ダメだったなと思っても後に見返すと、悪くないと思えるのだ。
それこそ、わたしは工学部を進んだわけだが、その結果理学では学べないことも学べた。それは、今では天文の装置開発の話についていく下地にはなっている。
ここで言いたいことは、大志を抱けということだけではない。自分の嗅覚を養い、やりたいことを素直に挑戦してみるということが大事だといいたい。たとえ、それが人から勧められたことであっても、面白そうと思えばやればいいのである。
そうではなく、うじうじ悩むほうがつまらないし、さらにいうと、自分はダメなやつだと思い込むことこそが非常に嫌な気分になる。
自分というのは、はっきり言ってわからない。それこそ、永遠に分かり得ないのは他人ではなく、自分だと思う。そこで、「自分は」とかいう人らは、何様のつもりだと思う。自分探しという言葉がなくならないのは、自分というものが水のように変幻自在で捉えようのないものだからであろう。ならば、何かと自分というものを定義して安心を得ようという姑息なことをするよりも、自分というものはわからないものだけど、とりあえずやってみよう。それだけでいいのである。理由なんて後で考えればいい。
私の大学の先生らのブログに触発されて、久々に天文のことを書こうと思う。
とはいえALMAを使ったことないし(その先生は電波から可視光まで幅広くやっている)、それほどデータ分析をしたことはない。しかし、せっかく海外に行って観測してきたのだからそのことについて書いていきたい。
観測した場所は南半球で、望遠鏡は口型1.4mで売りはいろいろな波長(赤外)のデータが取れることだ。
だいぶ装置も老朽化してきて、ときどき不調のために観測できなくなることもしばしばらしい。
私が着いたその日に、どのように装置を動かすのかを教えてもらったが残念なことに、装置の温度をコントロールするところが逝ってしまった。
こうなると、現地のテクニシャン(望遠鏡の装置の修理や点検等をしてくれたりする人)だけではわからないので、日本に連絡しつつ対策を練ることになる。
結局、温度コントロールする基盤を取り外し、再度配線の組み替えをした。
たとえば、すばるとかではこういうことは絶対にない。
それは大型望遠鏡に取り付けられている装置は、簡単に取り外しできたりするものではないし、ましてや数人でどうにかできる範囲を超えている。
そのぶん中型、小型望遠鏡はいろいろとできることがある。
実際私の使った装置は、やりたい観測に合わせてフィルターをかませることができる。
そのため、バラエティは豊かである。
装置から、観測、データ処理のパイプライン開発と天文学は幅広くやっている。
ある意味いろいろなことを学べるから学問としては面白い。
自分は観測屋さんだが、それでも将来的には装置開発はやってみたいと思うのであった。
最近パソコンのOSを変えてみてわかったことがある。
年々これはめんどくさいものになっている。
予測変換が限りなく余計に先回りしている。
とはいえ、これを使うしかないので多少の不便は仕方がないと割り切っている。
さて、青春を考えてみると経験も知識もないがなんでもやってみようという気持ちは湧き上がるものだ。
しかし、その責務は多少は本人たちに行くとはいえ、社会が生暖かく見守っている節がある。
それはある種貸し出しみたいなものな気がする。
大人になった時、「自分も青春時代バカなことをしたものだと」いうセリフは、まさしくそういうことだろう。
私もぼちぼち大人の一人である。こういうセリフはまだ吐きたくない気分だが、社会の責務として受け入れることもまた必要かもしれないとぼんやりと考えている。
物理は世界を記述する学問である。それは過去の結果から未来がどうなるのかを想像するものだ。例えば、力学を取り上げてみよう。運動方程式を作り、加速度を時間積分して最終的にどの位置にあるかを求める。そこで必要なのは、初速度と初期位置である。これさえ与えられれば、その物体がどんな運動するのかを如実に表すことができる。これはまさしく過去から未来を予測していることに相当する。引いては統計力学の手法を使えば、数え切れないような量の粒子が織りなす現象を記述できる。これは簡単には圧力であったり、磁性体の内部の物理現象を理解するのに必要なことだ。
さて、その物理学はいろいろと根本的な問題を議論し続けている。最たるものが量子力学の「観測」に関する問題だ。そもそも論なのだが、波動関数とはなんなのだろうか?不思議と中に虚数iが含まれている。これは確かに極微の物理を記述するのに必要だが、世界は実在の世界である。そこに虚が入り込んでも我々はそれを感知することはできない。これは幽霊を信じているような気分になる。エヴェレットは「多世界解釈」というものをあげており、それに感化されたSFもいろいろとある。それらを読んできても、実感というものはわかない。これは個人の趣味になるのだが、たとえばホーキングだと極論的な主張をしていて、数学的に記述できればそれで万事OKらしい。(実存するかどうかは興味がないと言い換えるところか)
波動関数に話を戻すと、実際には決まっていないと考える説とアインシュタインの有名な言葉「神はサイコロを振らない」に代表されるように実際には波動関数は決まっているという話がある。この話はさらにはNowの話にも広げられる。
最近、佐藤文隆の本を読んでおりNowの問題というのが記載されていた。簡単にその問題を説明すると、我々がいま刻々と生きている今=Nowは物理学では理解することができないということである。今とは実存である。その実存を物理は根本的に記述できない。それがアインシュタインは非常に不満だったらしい。しかし、この今という刹那を考えるのは確かに難しい。今といってもすぐ過ぎ去ってしまうもので、今を実感しているといってもそれは過去になっている。ここらへん意識の連続というのも合わせて考える必要があるかもしれないが、とにもかくにも物理はまだまだ世界を記述できていないようである。そもそもnowとは何かすら危ういかもしれない。そう考えると、足元が崩れる感じがして途方もない気持ちになるが、逆に物理のこのわからなさがたまらないと思う気持ちもまた存在するのである。
研究において、大事なことはそれこそ社会的意義だと思う。
どんな研究もたしかに面白いことだが、その面白さを伝えるには意義をちゃんと説明できないと駄目である。
独りよがりの研究はつまらないし、中身のないものも困ったものだが、本当は面白いのに意義を説明できなくて落伍するのは非常に残念なことだ。
天文だと、なかなかに社会的意義を説明するのは難しい。
社会的意義なし=滅びてもよい科学ではないのだが、研究費を得るには他者にも研究を分かってもらわなければならない。
自分が思うに、天文自体が社会に貢献するのは極めて稀だと思う。
しかし、科学の中で一番人気の分野は天文だと自負してもいいと思っている。
誰しも夜空を見上げて星を探したことはあるだろう。
そして、宇宙についてなにかしら思いを馳せたことはあるだろう。
宇宙を研究するというのは人類の自然に対する理解がどこまで及んでいるのかを示す指標だと自分は考えている。
そして、我々はなぜ生まれ、どこにいくのかという大きすぎる命題にさまざまな角度から取り組んでいるのがまさに天文だと思うわけである。
つまり、身近なものには役には立たないけれど、人類という大きな枠組みでみれば天文学は非常に重要な自然科学の大部分を担う学問だと思うわけである。
この間、鞍馬~貴船を研究室の有志と一緒に歩きにいった。
道中研究生から、石庭のことを質問され、宗教的な話を英語で説明する難しさを感じた。
ただでさえ、日本語でも難しいのに…
鞍馬についたら小雨模様。
すぐさま正面の門で記念撮影。
後輩の1人が急な坂を見て戦々恐々としているのを励ましたりしながら登った。
残念なことにロープウェイは運行していなかった。
本殿についたらいろいろと中を見学。
自分の髪を切って収めたような不思議な場所に行ったりして、そのあと奥の院へ。
風が強く少し寒かったが、晴れ間が見えていい感じかと思いきや、貴船の方まで来るとそのまま小雨に。
貴船ではお約束の水占いをする。
貴船はいろいろと縁結びポイントが多いが、一方で陰陽師「鉄輪」にある通り、
丑の刻参りでも有名なところでもある。
縁結び絵馬をたまたま眺めてみると、結構重たい内容が書かれてあって、
人の恋路も大変だとつくづく感じた。
なかなかに楽しい時間であった。
今度は大原にいきたいものである。
夏の学校練習から1年経過する。
思えばはじめはどういうものか分からず、難しい観測に手を出したと思うが、まあいい勉強になった。
今年は練習を見る番である。
とはいうものの、観測時期がどうしても6月とかになってしまうので、多くは見ることが出来ない。
南半球で銀河中心を見ようと思ったら、天頂に来るのが6~7月で、研究のためには仕方がない。
それはそうと、夏の学校で発表する際に気をつけた方がよかったことを考えてみる。
自分の場合、空白があると非常に心落ち着くが、人によっては空白恐怖症のように隙間を埋めまくる人もいる。
そういうスライドを見るとすごく情報が多過ぎて困る。
あと、一目見て分かる感じがいい。
イントロ多くして、初めての人にも親切設計を心掛けるほうがいいスライドだ。
長時間喋るポスターならば目立ってなんぼだから、おもしろいものを作るほうがいいけど。
ここのところあまりに忙しくて更新する暇もなかったといういいわけをしつつ書く。
学会発表があって、その準備で忙しかっただけでなく観測提案やら学新書類やらあって、家に着いたときにはヘトヘトであった。
まあ、ようやく一息つけて久々に書こうかなという感じである。
修士2年だと、ゴールの前にやるべきことがたくさんある。
もちろん学新書類は未来への投資なのだが、本格的に研究発表とかして自分の研究の幅を広げておくことも大事である。
積極的に研究会に出るのが大事なのだが、しかし、研究費がないとなかなかに厳しい。
とはいえ、自費でも研究会にでようと考えてて、当然結構かかるわけだが、そこで惜しむというものではない。
だが、懐が痛いのも事実でバイトを増やしたわけだが、なかなかにしんどいものである。
しかし、やりたいことのためならばと思って奮起していた。
そんな一ヶ月であった。
プロフィール

水妖の音楽

Author:水妖の音楽
京都大好き大学生。
2009年 天文学会参加
2013年 サマーチャレンジ  
2015年 夏の学校
現在天文学を勉強中の大学院生
主にあわぎゃらくしーをやっていますが、銀河とつけばなんでも面白がります。
思想の根本は荘子であるため誰かしらに与することはしません。
身体論、哲学の類いの話も好きです。
趣味は読書とクラシックと絵画をみること山登り。
籘真千歳先生のファンです。
SFが特に好きです。森見登美彦さんも好きでサイン本を持つほど。ライトノベルは半分の月がのぼる空。ホラーなら玩具修理者。
クラシックはアリシア・デ・ラローチャやバーンスタイン、佐渡裕、カツァリス等が好み。
絵はマグリットやら、ルドン、川瀬巴水、ドミニク・アングル

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