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数学の学習で大事なことはイメージが掴めるかどうかだと自分では思っている。
まあ、物理屋さんなのでモデルをあたまで描くことができればわかったも同然で、逆に苦労したのが群論とかの数学である。
高校の数学でもいろいろとイメージがつかなかったのが虚数である。
虚数はいまでは当たり前のように使うが、虚数と実数の平面はあまりやっていなかった。
それにしても虚数はよく出来ているもので、iという表現は4回乗じてやればもとに戻るのも平面を使って説明されると面白いと思う。
二年生のころにやる高次の多項式なんかの話でうまくできたらと思うのだが…

数学は結構好かれていない。
でも、論理的な話では数学は非常に面白いし、難しいからこそやりがいがある。
もうちょっと、数学はやるべきだと思うのだけどな〜
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天の川銀河の構造や歴史において、金属量の勾配(おそらくFeのこと)、OH/IR星の分布が結構効いてくる。
さらに、質量分布やガスのフローの詳細を知ることは他の研究でも利益をもたらす。
天の川の構造や形態は昔から議論はされていた。(我々の銀河はどんな形をしているのか?)
渦状腕は可視と電波光度分布で特定された(同じくガスとHⅡ領域も)。しかし、星形成していない。
乱流速度か差が比較的大きいシアーを高めたからだと考えられている。
3kpcの腕や銀河中心における他の垂直方向のガスの力学はバルジ領域にてバーの証拠がある。
バーの外側は分子リングと言われていて、ほとんど円軌道で動いているように見える。
なぜなら銀河中心前方で大きな非円運動を示さないからだ。
銀河には4つの腕があって、ピッチ角で12度。

銀河の回転曲線は流体力学のモデルと星の質量モデルを合わせて測定された。(ベラ・ルーピンを考えるな)
非対称モデルは0.5kpcで普通じゃないシャープなピークを算出した。
そうすると、回転曲線はフラットになった。(ピーク後)
これはケプラー回転することを考えると奇妙なことだ。
そこでバーを導入すると、バーに沿った細長い軌道によって引き起こされたのではないかという考えになった。
今教育に携わったり、それに興味ある人らが話している内容が今度の入試改革である。
この改革で根幹というのが、創造ということ。
創造…新しいものを初めてつくり出すこと。
言い換えると独創性を試すということでしょうか。
今までの点数重視の試験を廃止して、そっち方面を重視することと「大学入学希望者学力評価テスト」を年複数回実施し、各大学の個別入試も筆記の点数だけではなく、面接や小論文、集団討論などを活用して選抜することを意識するようになっています。
それに対して異を唱える人らが、そういう問題を論じていますが私としてそちらに与することもないです。
それよりかは、エッセイ的に思考を散逸させて教育ー教え育てることとは何なのかを書いていこうと思います。
今までも散々書いてきましたが、年末ということでまとめるという形でやろうと思います。

学問というのが始まったのはいつでしょうか?
こういうとき、文字ができない限りはよくわかりません。(もちろん、文字がなくとも絵をみることでわかることはありますが、要するに媒体とするものが残らないと分かりません)
文字は甲骨文字や象形文字などができ、それぞれのところで発展していきました。
そして、何かにそれを書き記すことで現代までそれを知ることができました。
紙ができたのはだいぶ後で、紙ができてから本というものが誕生しました。
中国では荘子、老子、孔子、墨子、孫子、韓非子などが、ヨーロッパではアリストテレス、プラトン、アルキメデスなどから古代の叡智を窺い知ることができます。
とはいえ、学問というものが役に立つかというと、すべてがそうではありませんでしたし、生きるためにやらなければいけないことがあったので、みんなが教育を受けていたかというとそうではありません。
日本でも農耕している人らは毎日の暮らしが忙しく、とても勉強をしている余裕はありません。

そこから、学問は一時的になりを潜めます。大きく変化したのは間違いなく天動説から地動説に変わった前後でしょう。
ニュートンが万有引力を示し、デカルトが哲学と数学について説き、それからドルトンの原子など大きく学問が成長していきました。
そして、日本では寺子屋だったり他にはギムナジウムのような教育機関ができるようになりました。(もちろん、まだ全員が教育を受けられるわけではないですが…)
そして、義務教育がほとんど完遂されたのがだいたい1915年ごろ。
ともするとおおよそ100年前の話になるわけです。
そして、今ではどこの国でも教育は根幹であるという認識があります。(日本の場合その意識が高いようでそうではないようですが…)

ここまで歴史をざっとみました。
とはいえ、教え育てることは何も言っていません。
そこで、ここから考えていこうと思います。

今の時代は端末があり、電波があればたいていのことを調べることができます。(情報化社会)
とはいえ、その調べられるないようというのは人間社会全体が経験してきたこと、考えたことになります。
学問は、その人間社会に対して考えたものを供給するものになります。
そこには人間の思考の産物があり、玉石混淆です。
大半が玉ではない、いいかえるとムダなものであります。
ここで、ムダが駄目かというとそうではありません。
玉がどれかわからないため、それを磨いてみることが必要です。
磨いて初めて何かに役に立つかわかるかもしれないですし、そうでないかもしれないのです。
教育とは、まさしくこのムダだとか、磨く作業を黙々と続けられる精神を養うことです。
これは、この間読んだ鷲田清一(大谷大学教授)『哲学の使い方』を引用すると、
「答えがまだ出ていないという無呼吸の状態にできるだけ長く持ち堪えるような知的耐性を身につける」
という風に言えます。(もちろん、これは哲学の話でしたが拡張して考えることができます)
とはいえ、磨くための精神を養うにはどうしたらいいのでしょうか?
それこそ、今回の大学入試改革にも繋がる話です。

中教審(中央教育審議会)はそれこそ創造性だと考えたわけです。
いままでの詰め込み教育、ゆとり教育を変えなければいけないという想いからでしょう。(どういう思惑かしりませんが)
とはいえ、新しく提案した内容はなにより変わっているようで変化はしていないのです。
ただ、逆に新しく試験を変えたことにより、財力がある家の子の方が対応が早くできるというのはあります。(ここらへん、社会派だと自称する人の中にはお金じゃないのよという人もいますが、私は言い切ることはできないと思います。何より、決めつけて物言いは視野狭窄を生み出しますから)

私は今は教育過剰がなによりこの状況を生み出していると思っています。
教育は大事ですが、今は異様なまでに入れ込みます。
し物理をやっている人からして物事は準静的にしか動きませんという認識はあります。
だから教育もじっくりゆっくりとことを変化させる。
急激な変化は混乱を生み、結局収束させることに労力を割きます。
そして、何よりも人が人を教えるということを見つめ直すべきです。

河合隼雄先生をよく思わない人も多いですけど、教師をしていた先生は魅力的だと思います。
まさしく教化する。教師の役割はそれでしょう。
教えたりすることではなく、生徒と教師という身分的な関係ではなく、人としての関係を築けた。
そこに教え育てる根幹を成すものがあると信じて疑いません。


いよいよ修士課程の募集が始まる。
それに合わせて、大学院入試説明会が行われている。
私も行ってきた。
志望するのは銀河物理学のできるところである。
そもそもえり好みをしなければなんとかなる。
けれども、本当にしたいと思えることでないと研究とはやってられないものだし、努力しようというモチベーションにならない。
さて、研究室にもいくつか個性がある。
先生が見てくれるところ、放任主義なところ。
議論が活発なのはそうだが、どこを見据えているかだ。
そういうのはただ先生と話せばいいわけでもなく、院生やドクターを含めてみなければいけない。
さて、TPEICが終れば本格的に物理の勉強をする。
とかく、外を受けるというのは不利な戦いだ。
だけども、それは言い換えると分からないことをさらに努めて深く理解することになる。
さあ。頑張ろう。
暗号理論でめんどくさいプログラムを組んだりする。
今回やったのは、高速べき乗法というもの。
Mathematicaで書いた。
 
MyPowerGCD[n_, c_, t_] := Module[{a, b, i = 1, z = 2, k = n, l = t},
a = c; b = {};
While[a > 0,
b = Prepend[b, Mod[a, 2]];
a = Quotient[a, 2]; i++
];
While[z < i, If[b[[z]] == 0, k = Mod[k^2, l], k = Mod[k^2*n, l]];
z++]
; k
]

解説をすると、これはこれをしたいのだ。
y = m^e mod[N]
ただ、eがものすごく大きいと計算が面倒だから、計算回数を減らすという試みだ。(別の名をバイナリ法ともいうらしい)
このeを2進数表記する。
たとえば、11=(1 0 1 1)<=[8 4 2 1]という風にする。(右側はbit)
そして、次のWhile文から先が、面倒だ。
この11の場合0から順に評価する。最初の1(頭)は無視する。
0ならばy^2mod[N]をし、1ならばy^2*y(元のy)mod[N]をする。まあ、プログラムした人ならわかるだろう。

こうしてできたものを利用する暗号がRSA暗号だ。
これは、素因数分解の難しさによって成立している。
勉強するだけならまだしも、ここらへんは大変辛い。
数学嫌いにはならないでほしいことを切に願う。
久々にこのタグを使ったな。
ということで、学力とは何かということを考えてみたいと思います。
大辞林には「学校などにおける系統的な教育を通じて獲得した能力」とあります。
学校でなくても、系統的な教育を通じて獲得したものならばいいのです。
昔の教育と言うものは何だったのかをちょっと考えてみましょう。
何かを学ぶということが大事になったのは中国でいうところの科挙でしょうか。
公務員試験のようなもので、今の学校というイメージがしやすいのはこういう感じでしょう。
日本だと、平安時代なら貴族が文章を書くことを習っていました。
つまりは、学力とは政のためでもあったと言えます。
一方で、ギリシャだとアルキメデスの法則を見つけたりアトムの存在を言ったり。
いわゆる科学の原型はそこからあります。
しかしながら、昔は学力というものをさほど重要視していません。(一般人が)
それは、やはり趣味やら政という意味が強く、生きていくことには必要でないからでしょう。(何しろ、働かないと食べることもままならない)
つまり、一般人が教育というものを受けるのはこの衣食住が満足しているときだけです。
現代は、この最低限が守られているからこそ教育は大事にされます。
ところが、この間紹介した堤未果さんの本では、最近のアメリカではそういう事情ではないそうです。
有名なのはデトロイトでしょうか。
それは今回は関係がないので省きます。

教育は國が豊かであることの象徴です。そして、教育をすることによって人間はさらなる知恵をつけて、生活しやすくするようにいろいろと変えていきました。
学力が大事だという所以は、この國が豊かになるということに起因します。
裏を返せば、学力が低いというのは国力が弱いということにも値するのです。
だから、政府も躍起になるわけです。

さて、それでは学力を身につけるということを考えてみましょう。
小学校から数学、国語、科学、社会、体育、音楽、図画工作というものを学びます。
それ以前に英才教育(幼児教育)をする人もいますが、あえて一般だけを取り上げます。
国語を除いて、それ以外ははっきり言って、生きるのには不要です。
なぜ学力として求められるのでしょうか?
それは、生きるのに必要がなくても、現代では生きていくことに意味を見出せる時間があるからです。
生活が豊かになるということは、それだけ生きるために必要なことから時間的に抜け出せるようになりました。
あまった時間をどうするのかと考えたとき、人生について考えることができるようになったのです。
人間は言語というものを手に入れ、そして思考というツールを手に入れました。
単に生きるだけなら、こういったものは不要です。ですが、それを与えられた、獲得しているわけです。
それを使うことを運命付けられているわけです。それじゃあ、ただ思考するだけでは駄目だから、数学やら、国語やらの学問にして、指針にしているわけです。
そういうことを極めることで自分の人生はこうだという風にすることができるようになったわけです。
そうでなくても、考えることによってさらに人間が生きやすい環境をつくっていけるわけです。
これが学力を身につける意義、理由だと私は考えています。

それじゃあ、ここ最近はどうなのか?
今日の日本経済新聞にもあるのですが、大概の学生は大学を目指します。例えば塾とかで受験テクニックを学んだりするわけです。
それで、今の大学生が大学に行くのかというと大概の答えは「周りが…」というものが返ってきます。
それでは真の意味での学力は身につかないのです。
それは、学力が生きる意味を考えるためという私の主張から考えると、いやいやするものではないからです。
昨今の教育に対する嘆きは、正直理由を適切に捉えきれていません。
教養は、自らの意志で身につけようとするものだからです。大学の先生ができることは1つです。(他の人でもそうですけど)
水飲み場に連れて行くことです。
水を飲ませることはできません。
それを自分の中でしっかり意識した人はあまりいないのではないのでしょうか?
だから、最近は学力だというわりに、受験勉強が過熱して学生が勉強しますけども、大学へはいることが目的になってしまい、肝心のその後が等閑になるのです。
大学の先生も苦労します。
そして、最近は競争主義とグローバリズムの波が押し寄せて、ますます教育に熱をあげていますが、それが裏目に出ています。それは、中間層が存在しないこと。
国力はすなわり中間層がどれくらいあるのかになります。そして、持続可能な社会を形成するには中間層が大勢いることが求められます。
すごいのはアメリカですが、その国内のほうは破綻が見えています。

日本はどういう風にあるべきなのでしょうか?
それは、やはり人間の最小単位である、他人との関わりを大事にすることです。
顔の見えない人と付き合うということが、平気で行われていますが、それをちゃんと変えていくことです。
顔の見えるというのが現代がなくしたものです。これは今からでも拾いにいくことはできます。
学力を考えると、ここまで来ました。
学力は人生を考えるためのツールで、それを深く掘り下げられるのかが強さに値します。
少なくとも私はそう考えています。
一回生の数学やらは前に書いた通りではある。
特に、線形代数は後半の方が難しい。
というのも、それまではちまちまと計算したり、基本変形していたりしていたが、そこからメインが証明になるからだ。
大学の数学の基本は定義、命題、系、定理、そしてそれらの証明である。
これは間違ってはいけない。
今までの大学受験の数学はあくまでも計算問題だ。証明が本当の意味で出来なくてもよかったが、そういうわけにはいかないのが、大学の数学だ。

例えば、君は開集合と閉集合の定義は分かるか?
極限の定義はちゃんと覚えているか?
写像の定義は書けるか?

こういうことは当たり前に出来ていないと難しい。といっても、ここ最近の大学の傾向としては、そういった証明が苦手な傾向にはある。苦手というか、敬遠する。しかし、君がさらなる飛躍を考えているならまさしく、どうしてこれが成り立つのかを定義に基づいて考えるくせを身につけるべきである。
これは、かなり役に立つ。

また、一回生の物理は力学と、電磁気学だ。
いまさら力学とい人もいるかもしれないが、力学は3次元空間が基本であり、1次元または2次元の物理はあくまでも模型だ。
ベクトルと微分を用いた力学はちゃんとやらないと分からないし、解けない。
電磁気学はもっとベクトルを使う。

つまりは、高校までの物理はお遊びだったということが分かるだろう。
お遊びは言いすぎかもしれないけど、でもそれほどまでに違う。
それをよく知っていてほしい。

また、1回生の時期は基礎実験がある。
物理学もあるし、化学もやったりする。この実験でもよくいるのがレポートの書き方を知らない人達だ。
レポートはちゃんと形式がある。それに従わないものは、いったら悪いが、残念なものである。
これまで、紙の上では出来たことも、実験ではそんなに簡単にはいかない。
そういうことの方が多い。

とにかく大学に入ったらやらないといけないことは、自分で考えてやることだ。
これが出来ない人は、出来る人から教わってなんとか単位を取得するということになるが、はっきり言おう。
大学に来ない方がいい。
自分で考えることをしない科学者ほど役には立たない。
どうすればいいのかのビジョンは自分で思いつくものだ。
人にやってもらうものではない。
だから、大学受験は最終地点ではないよといおう。そればかりが、スタート地点よりも前であるかもしれないのだ。
でも、興味がある人はぜひとも大学の理系学部を勧める。
理系を目指す学生さんならば、これを読んでもらえれば、大学はこんなところなんだと分かるかもしれません。
といっても、理系といっても一概に言えないものです。
医学
薬学
農学
理学
工学
の5つがまあ代表的ではありますが、私自身が工学と理学しかやったことないのでそれ以外については分かりません。
他にも理学なら
数学
物理
化学
生物
地学
とあるし、工学にいたっては相当あります。
理系をやる人がやる共通教育科目にあたるものと、いくつかの専門基礎。それから、物理、数学系のものについて書こうと思います。
目的としましては、これを読んだ受験生が大学の学問に期待してもらえればなとは思っています。

大学1年の頃は、どこもそうですが線形代数と微積分学をメインにします。線形代数とは、主に行列を用いた計算法で、ハミルトン・ケーリーと言えば分かる人もいるのではないかと思います。
高校生は、あくまで2次まででしたが、n次正方行列を扱うことをメインにしています。
この行列を扱うことになれていないと、後々に物理をする人は苦労することになります。
何に使われているかというと、例えば人工衛星がどの位置にあるのかは行列を用いて計算しますし、複数の事象が絡まり合うものならば絶対に行列は外せません。(行列をさらに発展させるとテンソルと言います)
とはいえ、最初のうちはどうしてこんなことをするのかは分からないと思います。しかし、線形代数を嗤うものは線形代数で泣かされます。

微積分学は解析学と呼ばれたりします。
ニュートンが作った解析学ですが、ライプニッツなどがそれを発展させたので、私的にはライプニッツの方がお株が上です。
極限に対してちゃんとした数学的な証明はもちろんのこと、偏微分というものをやったり、n重積分というものがあったりします。もちろん、なめてかかると痛い目を見ます。

参考程度に本を紹介しておきます。

解析入門 (1)解析入門 (1)
(1980/03/31)
杉浦 光夫

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英語は1回生と2回生にあるのですが、先生によってやることが違います。
私の場合は翻訳でした。
その先生がキツい先生で、ありえないことに夏休みの宿題まであったのです。
まあ、どんな先生があたるかは運次第ですが、ちゃんとしていれば落とさないとは思いますよ。
久々にカテゴリを変えて話をするのは量子力学です。
この学問の始まりはまさしく電子が一番関わっているといます。
高校生ならば、光電効果がまさしく量子力学の一歩に近いですが、何と言っても量子力学といえばシュレディンガー方程式でしょう。
このシュレディンガー方程式という名前は知っている人もいると思いますが、なんと言うかすごくやりにくいのですよ。
水素のモデルにしても動径やらの計算は実際しんどいです。
ましてや、他の原子だとどうなることやら。
その量子力学ですが、今現代社会で使われているものはここから派生したものだというのは何とも面白いものです。
しかしながら、ほとんどの人はこれをやりません。
数学といっても、そういう方面に特化したものしかやりませんが、大変ではあるのです。
ダイオードなんかはトンネル効果を使っていますが、これはどういう式で表されるのか分かりますか?

科学と技術は残念なことに網羅することは困難になっています。
これから分かることは、科学者と技術者がどういう姿勢で社会と関わることをものめられているかです。
原発の問題はそれを突きつけました。
これに対して、科学者らがどういう態度を取るのかはよくよく考えないといけませんね。
以前は高校一年生の前期のころを書いた。後期は何をするかというと教員によってさまざまだ。
私の場合、地学やら物理にちかいことだったので、始めに行ったことはプランクの放射に関してだった。
やはり、光学を扱うことが多いからだろう。とはいえ、これだけでなく研究する上で必要なスキルを身につけることになった。

その前にクラブが自然科学を研究するものであり、先輩のしたについていろいろと助手のようなことをしながら研究をどういうことをしようかというのを考えていた。
私のときは、先輩は蜂の研究だった。そのため大量のどろばちを捕まえる必要があるため、私たちはその罠を作ることをさせられた。これは苦痛ではなく、むしろ充実していたと言える。おかげで電動の糸鋸はそれなりに使えるようになった。
また、望遠鏡を使って、CCDカメラで天体を撮影したりしていた。後にこういう分野にすすむのだが、やはりこういう研究することを身につけるプログラムがあったおかげで今の私があるのだろう。
これこそまさしく教養である。

3月には海外旅行であった。豪勢なものだが、それなりに大変ではある。何しろ大概の人は言葉が通じないことに戸惑いを感じる。私のときはニュージーランドである。地震で話題となったクライストチャーチは想い出の地でもある。
マウントクックの麓に近いところで見た星空は圧巻であった。
都会がいろいろと失っているものは多い。それこそ、便利という潮流に流された人には想像もつかないことだが。

とにかくいろいろと経験した。講演会でもいろいろとあったし、それ以外の企画でもたのしかった。

次はいよいよ研究についてである。
プロフィール

水妖の音楽

Author:水妖の音楽
京都大好き大学生。
2009年 天文学会参加
2013年 サマーチャレンジ  
2015年 夏の学校
現在天文学を勉強中の大学院生
主にあわぎゃらくしーをやっていますが、銀河とつけばなんでも面白がります。
思想の根本は荘子であるため誰かしらに与することはしません。
身体論、哲学の類いの話も好きです。
趣味は読書とクラシックと絵画をみること山登り。
籘真千歳先生のファンです。
SFが特に好きです。森見登美彦さんも好きでサイン本を持つほど。ライトノベルは半分の月がのぼる空。ホラーなら玩具修理者。
クラシックはアリシア・デ・ラローチャやバーンスタイン、佐渡裕、カツァリス等が好み。
絵はマグリットやら、ルドン、川瀬巴水、ドミニク・アングル

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