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子爵の邸宅の庭は手入れが行き届いていた。私は不勉強だったせいか、花の名前やらはまったくわからなかった。日本の盆栽が好きであるらしく、庭師の人間が丁寧に説明してくれたがただ相づちを打つしかできなかった。庭師の方も、長話を切上て仕事に戻った。私の顔につまらないという意味を見出したのだろうか。それはよくわからないが、私はなんともいえない気持ちに囚われた。友人は興味がありながらも、あまりにものを知らない私に講釈をたれず、1人で子爵の家に行っていた。
「どうだい。この庭は」
「僕が不勉強すぎるけど、それでもこの庭は綺麗だね」
「貴族だからこそ、こういうことをしておかないといわれるのさ。とはいえ、この家の子爵は、かなりこういうことが好きな人なのさ。だから、世間では疎まれるのかもしれないが」
「疎まれようが、好きなことができるならいいじゃないか」
 私は自分の思うままに返した。友人は苦虫をつぶした顔をしながら言った。
「平民ならできただろうが、こっちの世界のしがらみはそれこそ個人ではどうしようもない。まあ、貴族でない俺たちが子爵の心情を察しろというのも無理なはなしだがな」
 このときは知らなかったが、友人は使用人の子どもであったらしい。それゆえに、貴族でもなく、平民でもない自分の立場をときどき疎ましく思ったことがあったみたいだ。
 私はこれ以上こういう話をするのもよくないと思い、友人の背中を叩きながら言った。
「まあ、ともかく入ろう。荷物が重くてかなわないから」

 家の内部は豪華ではあった。しかしながら、私がイメージしていた豪華絢爛なものではなく、質素ながらも優美な雰囲気を持っているものだった。白磁の花瓶には何も飾られていなかったが、どこかしら厳かな感じを携えていた。
「コールダー様とラッセル様ですか」
 高いアルトの声が聞こえた方向を見ると、そこには見るからにここのメイドをやっている人が下りてきた。
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まずは、この本

ブラック・アゲートブラック・アゲート
(2012/02/18)
上田 早夕里

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この小説は『華竜の宮』とは毛色が違いました。
まず、この小説はサスペンスです。
SFではないです。ので、SFじゃなきゃ嫌だという人はオススメしませんが、読んでみると面白いです。
私は

アウトブレイク―感染 (ハヤカワ文庫NV)アウトブレイク―感染 (ハヤカワ文庫NV)
(1988/03)
林 克己、ロビン・クック 他

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という小説とよく似ているなと感じました。(それは違うよいうのはなしです。あくまで管理人がそう感じただけですから)
それと前に読んだ貴志祐介の『天使の囀り』が近いかなと思います。
この話には2つの視点が出てきます。
1つは主人公。こちらは島の人間で、自分が弱くとも、まわりと支えあい生きています。そのため、危険だとわかっていてもその行為が利己的なものでないにせよ行う。
しかし、もう一方の視点は主人公のみならず島の人間が助け合っている様子をみて激しい嫉妬を覚えます。
彼にとって、人間とは弱い生き物で、時に家族を見捨てるものだと考えていたためでした。

さて、現代社会ではどうなのでしょうか?
本当に支え合いいきているのでしょうか?
私はかなり深い話だと感じました。

更新をサボったわけではありませんよ…
疲れていただけです。

(f・Д・)fた~か~の~つ~め~

……
気を取り直して去年読んだ本で良かったものをあげるものです。
もはや忘却の彼方にあるものも多いですが、印象に残ったものだけを書こうと思っています。
まず第3位

厭魅の如き憑くもの (講談社文庫)厭魅の如き憑くもの (講談社文庫)
(2009/03/13)
三津田 信三

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やはりこれですかねー
地方の風土を生かしたこの不可思議な殺人事件。
横溝正史を彷彿とさせますが、こちらはどろどろとしたものではなく得体の知れないもの。
これでもかとあやかしを強調するかの事件が起こりますが、怪異好きの主人公がいろいろと立ち回るのがすごく面白いです。
ということで第3位ということになりました。

第2位

スワロウテイル序章/人工処女受胎 (ハヤカワ文庫JA)スワロウテイル序章/人工処女受胎 (ハヤカワ文庫JA)
(2012/09/07)
籘真 千歳

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おなじみ籘真先生の本。今回の小説は短編でしたが、はやく続きが読みたくなる本でした。
それにしても早川の他のSFも緻密な舞台設定を書いていますが、どこも面白いと思います。
ライトノベルチックなのですが、やはりライトノベルとは一線を画していると思います。
あー、先生早く書かないかな。

そして、第1位は

華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)華竜の宮 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
(2010/10/22)
上田 早夕里

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もう文句なしでしょう。
これを読まないともったいない。
まあそんな感じの本です。

伊藤計劃の『屍者の帝国』はやはり円城さんぽいです。
結構あの人の文体は鼻につきますので、今回はベスト3に入りませんでした。
来年はどうなるのでしょう?
楽しみですね。
今年の折田先生像を眺めた。
トッポ
長瀬

残念なことに、今年のクオリティーは落ちたと感じた。それ故に、来年の作品に期待したい。(風刺的な意味で)

さて、ここ数日いやな天気が続き、私自身もかなり体調が不安定です。
とはいえ、読書はなかなかやめられません。
今読んでいるのは河合隼雄先生の本で

ココロの止まり木 (朝日文庫 か 23-7)ココロの止まり木 (朝日文庫 か 23-7)
(2007/12/07)
河合 隼雄

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この中に安心と幸福について書いてあるのですが、みなさんはどちらの方が好ましいですか?
断然に幸福でしょう。アメリカ風に考えるなら、アメリカンドリームを掴み、お金持ちになっていろいろなものを手に入れることができる。
貧乏とはいかなくても、生活が苦しい思いをしてきた人ならこれはありがたいと思うかもしれません。しかし、この幸福とはキリスト教では語られているのに、仏教では存在しないものだ。
たしかに、お金がある方がいいかもしれないが、果たして最終的にそれが意味するのはなんだろうか?
つまるところ、お金があっても安心にはならない。こころを安らかにするには、それこそお金を稼ぐよりも大変な道になる。だからこそ仏教では、こころを安らかにするために修行をするのだ。

それともう1つ、私が面白いと思ったのがガマンの再評価である。
昨今は、ものが豊かになりガマンしなくても何でも手に入るようになったし、なんでも簡単にできるようになった。
果たしてそれが良かったのだろうか?

機械を有する者は、必ず機事(きじ)有り。機事有る者は、必ず機心有り。機心、胸中に存すれば、則(すなわ)ち純白備わらず、純白備わらざれば、則ち神生(しんせい)定まらず。神生定まらざる者は、道の載(の)せざるところなり・・・吾(われ)知らざるには非(あら)ず、羞(は)じて為さざるなり。(『荘子』外篇(天地篇)より)

まあ、前からいう通り『機心を羞づ』という言葉を気に入っている私にとってガマンとはやはり重要だと考える。
このガマンをするということは、なにより分別をつけるのにとても重要だからだ。
そして、人間が人間であるためにはやはりこういうことをできないと、それは動物を遜色ないことになる。
まあ、ガマンしすぎも良くはないからそこらへんもさじ加減は必要だろう。
とはいえ、荘子の考えではそもそもガマンはないのだ。ガマンというよりもそれを超越した考えをもつ。
私も今はガマンすることをやってはいるけど、できればこころ安らかな生活を送れるようになりたいものだ。
この本は日本でいうところの『日本霊異記』と同系統の本です。
つまり、この世にあらざるものを題材とした本です。
どこの国でもすることが、自分の国の歴史を書き記したものを作ることです。
これによって、自分がいかに偉大であるかを示すことができます。
その過程で生まれたのがこの小説であり、中国小説の源流ともいふべきものだそうです。
とはいえ、日本ではこれを読んだことがある人は少ないと思います。
まあ中国三大奇書である『西遊記』『水滸伝』『金瓶梅』は知っていたり、読んだことがある人が多いとは思いますが、六朝志怪小説は知らないかと。
とはいえ、この手の話といえば京極夏彦先生らが有名でありなかなかに好きな人ははまると思います。


幽明録・遊仙窟 他 (東洋文庫 (43))幽明録・遊仙窟 他 (東洋文庫 (43))
(1965/05)
劉 義慶

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臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知
(2003/02)
河合 隼雄、鷲田 清一 他

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こういう本を見つけました。
まあこのブログではよく取り上げている人ですね。これを読もうと考えています。

もちろんその他の本も読んでいるのですが…時間がないわー
もうすでに二十四節気の雨水は過ぎましたが、それでもここ数日はくずついた天気が続いていますね。
次は啓蟄です。
中学二年生のころ、担任の先生が国語の先生でちょうどこの時期に、啓蟄とは春の暖かさを感じた虫が出てくる時期だという話をしてくれました。そして、次の中学三年生が義務教育の最後であり、君たちも頑張らなあかんよという話をしてくれました。
中学の思い出はいい思い出ではいえませんでしたが、それでも中学二年生の時の担任の先生とは友人ともいえる温かみがありました。
小学校ならよくある話です。担任の先生が母親と歳が近かったりするとおかさんと思わず言ってしまうような温かみがあります。
しかしながら、現代のこどもはそういう思いを抱いているのでしょうか?比較的私の近所の学校ではまだマシと思えますが、都会の学校ではどうでしょう?
私は受験戦争という言葉は嫌いです。これはある側面から見ると、こどもは親の傀儡のようです。「ここに入れば、将来的にも安泰だ」「東大に入れば、私も鼻高々」
このような直接的な言い方はしていないと思いますが、私は甚だ不愉快だなと感じます。こどものためを思ってのことが、子どもを束縛し、自由から不自由を強いられているからでしょう。
現代はまことに、個性を尊重される社会であり、それが強要される社会です。しかし、ここ最近の変遷を見ているとむかしのような考え方では通用しないようになっています。セブンイレブン
ものがいつでも買え、豊かな社会になった日本。それゆえに、大切な何かを失ってしまったように感じます。
あえて言及しませんが、大切な何かをもう一度考えてみるべき時期にあるのではないのでしょうか?
豊かになったぶん、それだけ心がやせ細り、それが故に、劇的な変化を喜び、面白がることはもうやめましょう。それは、孤独とも言うべきで、友達を作っても友達ではない何かと一緒にいることと変わりません。

メーテルリンクの『青い鳥』を思い出してください。
幸せは身近にあるものです。
河合隼雄先生はよく私は本の紹介で挙げる人だ。
もともと京都大学では理学部数学をしていた。そこで、教育に関心を持ち心理学の道へとすすんだ人だ。
森先生とは違い、軍事訓練はそれなりにやっていたみたいだ。(とはいえ、森先生はびりから2番目をねらっているようであったが)そこで、もともとそういうことに興味がなく、兵士になれることが誉れとされた時にそれを辞退なさった。辞退することは相当に勇気がいることだが、それでまあ甲乙丙の丙という成績をつけられただけでマシである。

河合先生が亡くなって久しい。しかし、先生がずっと世の中を見つめていたように私も、今を見ているとよくわかる。
結局人間は辛抱ができない、せっかちだと。
学校のことにしても、いじめやら自殺で揺れる世の中、とにかくスピィーディーに解決することが求められる。そのニーズに、大阪市長は応えたと考えるとなるほどなと思う。しかし、それがいいとは一切思っていない。
河合先生は臨床心理をやっていて、人のこころほど不可解なものはないと考えている。ゆえに、深い洞察が私にとってとても役にたった。

河合隼雄、森毅、鷲田清一。このあたりの教育論は私にとって糧である。それゆえに、もういない故人を懐かしむ気持ちに寂しさを感じ得ない。

河合隼雄の“こころ”―教えることは寄り添うこと河合隼雄の“こころ”―教えることは寄り添うこと
(2008/03)
河合 隼雄

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まちがったっていいじゃないか (ちくま文庫)まちがったっていいじゃないか (ちくま文庫)
(1988/03)
森 毅

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「待つ」ということ (角川選書)「待つ」ということ (角川選書)
(2006/09)
鷲田 清一

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どうもです。夜に帰ってきて、勉強をみるということをやっているのでここ最近夜にブログを書くのができなかったりしたので朝に書いています。
いろいろと教育について考えてきましたが、私自身はやはり無用なグローバル化と効率化された教育はやめるべきだと考えます。
このグローバル化は学校のオリジナリティを追求し、海外の学校とも交流ができるものにすべきという視点は面白く、異文化に触れあうという点においては多いに賛成ですが、ここで間違ってはいけないのはグローバルの矛先です。
いいものを取り入れようとする姿勢を日本は昔から持っていますが、取り入れ方が問題かと思います。
グローバル化によって取り入れるものはいわば海外の文化です。それを取り入れるとなるとやはり文化の歴史を知らなければなりません。しかしながら、向こうの歴史を知る前に、自国の文化を十分に理解していることが必要です。教養とはこの自国の文化を体得しているかだと私は考えています。そうして、文化を体得した上で異国の文化に触れてみる。そこで、大きなパラダイムシフトを経験することがグローバル化の根本だと考えます。ヨーロッパの人を見てみるとやはり自分の国についてよく知っていて、それで日本の文化を見て衝撃を受けることがあるみたいです。これはヨーロッパの文化が長い間熟成されており、それでいて今を担う人達が文化をしっかりもっているがゆえに初めてできることです。
しかし文化の基盤が弱いところになるといとも簡単に淘汰されてしまいます。グローバル化の問題は、知識は国境がないのにも関わらず、知恵はちゃんと文化という境を持っていることです。知恵が淘汰されるとどうなるのか?それは文化の消滅を意味すると思います。以前なら、国が滅んでも文化は脈々と受け継がれていました。ところが、今は滅んだらそれっきりです。使えないものは廃棄する。まさに文化の大量廃棄です。これが私はよくないと思います。

日本だと何が問題か?教育においてこのグローバル化は何を意味するのか?

答えは英語を話せるに尽きると思う。

英語が話せない、書けないから研究が遅れる。このことを問題視しているのだ。決して国際社会で活躍できる、政治でも役に立つ人材を作ろうとしているのではない。
英語が話せたらええやろうという考えなのだ。
しかし、日本自体がそもそもグローバル化に適した国ではないことは分かるはずだ。産業の空洞化を嘆くが、これはもちろんグローバル化を尊重したからだ。アメリカならこれはうまくいく。もともといろいろな文化の人を取り込んだ他民族国家だから。しかし、日本だと全然違う。日本は日本人が文化を作ってきた単一民族である。
よくよく考えて欲しいのだが、愛国心を訴える人がグローバル化を訴えるだろうか?愛国心は自国を尊重するものであり、グローバル化はその愛国心を取払い世界が1つになることだ。もう矛盾だ。
この矛盾を上の人は理解していない。グローバル化とはこういうものだというのはあるけど、それをとんと理解していない。グローバル化はこのままいくと日本を空中分解へと招くでしょう。まあ、運良く切り抜けるかもしれませんが、それも針の穴を通すようにして。

続いて効率化は前から行っていますが、教育とは相容れないものです。これはどれだけ効率化を図っても、より問題を拡大化するだけで意味がありません。もはや見切りをつけるべきですが、マネジメントに冒された頭ではりかいすることはできません。

ということで、日本の教育はお先まっくらで気がめいりそうです。
鷲田先生のするどい哲学的観察を読んでいます。
これは3年前に書かれたものですけど、今でも十分通じます。

噛みきれない想い噛みきれない想い
(2009/07/10)
鷲田 清一

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見られるということを主眼においた身体の現象学のように、つまり人の関係は見る見られるというものにあります。
こういう観点から世の中を見てみるといろいろ分かります。
是非とも手に取って読んで欲しいです。そして、その内容を自分で感じ取って欲しいです。
昨日は完全に更新するのを忘れていました。というか、いつもこの時間ぐらいに更新をしているのですが、ここ最近は勉強をみているので、解説をしていたりするとやっぱり長くなって、書くのが面倒になって書かないということが多いです。とはいえ、そういうわけにもいきません。

人間は集中するということが得意ではありません。これは動物でも真理だと言ってもいいぐらいです。
とはいえ、集中を要求される社会であるのでそんなことはいえません。ということで、集中するにはどうすればいいか?
これは、とにかく作業をやってみることです。やらない限りスイッチは入りません。
CMでやるきスイッチというものがありましたが、これは自分がやらない限り絶対に入りません。
いいですか?絶対にはいらないのです。
ということで、集中力がない方は、とりあえず作業をして集中するということをしてください。
あと姿勢も猫背では駄目ですよー
 長い長い山道を抜け、木漏れ日が射すひらけたところに出た。目の前には頑丈な鉄格子と3mはあろうかという壁が反り立っていた。
「ここが、子爵のお屋敷さ。さぁ、どこに車を入れたらいいのかな」
 友人はそういって運転席の扉を開け、地面に降り立つと鉄格子によっていって到着を伝えることができるものがないか探していた。このころは今のようにインターフォンというものがなかった。だから誰か門番がいないかを探すのが普通だった。こちらから友人が何かに向かって話しているのは見えたが、いったい誰と話していたのかは分からなかった。大人しく私は車からその邸宅を観察した。事前に友人から結構古いという話を聞いていたが、思ったより3mある壁は朽ちていなかった。ちゃんと手入れは行き届いているようである。ほんの少しだけ邸宅の屋根が見えたが、それだけではよくわからなかった。
 ぼうっとしているといつの間にか友人は車の扉を開けて運転席に乗り込んでいた。
「あそこに見える角を曲がると、駐車場があるってよ。すでに何人かが車で到着しているらしい」
 そういってアクセルを踏んで車を急発進させた。それによって私は上半身をソファに深く沈める結果となったが気にしない。
「だれと話していたのだい」
「ああ。守衛さんだ。あの鉄格子に取っ手があって、そこを引っ張ると守衛室の呼び鈴が鳴る仕組みになっている」
「そうなんだ」
 角を曲がるとそこには車が数十台止めることができそうな大きな駐車場があった。たしかに、何台か車が止まっていた。意外とセレブリティな車が止まっているものと想像したが、それほどでもなかった。日本製であったり、アメリカ製のものであると友人は言うのだがよくわからなかった。しかし、車は知らない私でもよくわかるくらいすすけていた。
 友人は車を適当なところに止めた。友人が車から下りるので、それにならって外に立った。まだ日の光が強く、すこし目眩がしたが、ひんやりとした山特有の風を受けると、心地よくて思わず目を閉じた。湿気に混じって、ほんのすこし土の匂いがした。車の後ろに行き、友人がトランクを空けると、私は自分の荷物と、機材の一部を持った。
「それじゃあ、行こうか」
 友人は、大きなカメラを首に下げ、左で持ってきた荷物をもって先程の入り口の方まで歩き出した。一緒についていく私は急に何かが叫ぶような声が聞こえた。気になった辺りを見渡してみても何もなかった。気になるものの、先を行く友人が不思議そうな顔をしているのでなんでもないと言って再び歩き出した。

脳には妙なクセがある脳には妙なクセがある
(2012/08/01)
池谷 裕二

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この本は脳科学のおもしろいところを詰め込んだ本だ。とくに興味深いと思ったところを書く。
人間には自由意志があると思いがちだが、それは大きな間違いである。この著者にはよく書かれていることだが、身体が脳を支配していると言ってもいい実験結果がある。
人間には自由にあると思っていたことは実はないのだ。
とはいえ、自由意志がないだけで、自由気侭な生活ができないわけではないので、荘子な生き方は全然できるということで私は安堵している。

それ以外にも音痴な人は空間認識能力が劣っているらしい。これはあくまで実験の結果であり、どういう因果関係でそうなのかは不明だが、おもしろいことだなと思う。

ということで、小説もこういうことを意識しながら書こうかなと思ったりしている、そんな祝日でした。

街場の教育論街場の教育論
(2008/11/15)
内田 樹

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この本は神戸女学院で勤務している町田樹先生の本だ。ここで非常に納得したこと、知って欲しいことを書く。
さっこん、教育に関していろいろなことが盛んに議論されている。
大阪の市長の発言にはよく耳を傾ける人も多いだろう。つまりは、この駄目な政治を変えてくれるのはあの人しかいない。
人は劇的な変化をしたものをすごいと考える。しかし、それが良くても悪くでも別である。(悪ければあとで文句がでるが)
このやり方は、私の考えでは非常に危険だと捉える。なぜか?
その簡潔な答えがやはりこの著書には記されている。
大概の日本人の今の思考はこういう感じではないだろうか?誰かが変えてくれるだろうだったり、効率が悪いやり方は駄目だとかいった思考である。
1つ目は鷲田清一先生の本でもあったが、「相互不信の過剰」という言葉で表される。簡単にいうと責任転嫁のことである。こういう人達は大概がクレーマーであり、今あるシステムにちゃんとおんぶできるようにしろという人達である。(本人がどう考えているのか知らないが)

わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書)わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書)
(2010/03/10)
鷲田 清一

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これが今の教育に対しての親の姿勢であり、大概がこういう感じではある。つまりは学校にちゃんとしろというだけいう人である。

次に効率主義な考え方をする人である。これは、たとえば教員業績評価であったり、学校協議会であったりする。
これらは今のだらしない教師を辞めさせたり、しっかりしろと叱責するために存在する。
こういう考え方は非常にマネジメント的な発想である。そして、今の世の中は効率を重視するため、これを妨げる要因は排除すればいいことが分かるものだ。これだけ聞くとものすごく聞こえがいいだろう。

なんだ教育が悪いのは〇〇の所為なんだとすぐに分かる。
自殺したのはあいつが悪いからなんだ。
いじめが止められないのは〇〇の所為なんだ。

これは非常にわかりやすく考えられる。しかしながら、こういう考え方がもっとも危険であり、何一つ分かっていない人の発言なのです。

内田先生は教育のステイクホルダーは誰かを挙げています。もちろん文科省ではないですし、政治家、親、政府ではありません。生徒と教員です。
つまりは教育とはこの2つの関係が重要であり、これ以外はあくまでも中心的役割を果たしません。
 
教育の中心は分かりました。では学問とはなんなのか?
あなたに子どもがいるとします。その子どもがこういうことを訊いてきました。
「どうして二次関数とかルートとかやるの?こんなのは何に役立つの?」
あなたはどう答えますか?

なんて生意気なやつだろうと思うかもしれませんですし、答えに窮して曖昧な返事を返してしまうかもしれません。
しかしながら私はこういうことを言います。
「役には立たないんだよ。世の中役に立つことなんて少ない。でも、こういう風に勉強することで知識を貯えて人間的な成熟をするには必要なんだよと」
まあ、役に立たないということだけをいうかもしれませんが、こういう返事をすると思います。
でも不思議ですね。文系の人は積分を使うことはありません。数学を習ったのにどこで使うのでしょう?

この答えはありません。使わなければ使わないのです。しかし、教育には必要と考えています。
私はこれを教養と考えています。役に立たないことをやる。これが教養という内容を話したのは私が知る限りだと森毅先生を考えます。ここではあまり教養については深く掘り下げないことにします。

そしてこういう教養を学ばなければならないと考えている人達がいます。それが今の教育改革を考えている人達です。
しかし、こういう効率主義の人が教養について考えたとき、教育を商品のように考えます。当たり前ですよね。教育を商品として考えないと、効率主義(=マネジメント)の人はなんの対策もとれません。
しかし、これは極論すると数学という教科を金で買って、それについて習得するものです。
あなたはおかねで、数学を解く能力を買えますか?私は買えません。
つまりは教育は商品ではないのです。

じゃあ教育をどう再生しろというのだという人がいるでしょう。批判したら批判されたひとは対案をだせというかもしれません。
内田先生は現場の教員に任せてくださいという。少なくともこれ以上悪くなることはない。もしくは、教員を締め付けることをやめてくれというでしょう。
そして、評価活動自体が弊害なのです。
あなたはこういう証明はできますか?
富士山にはクワガタはいない。
これを示すやりかたは、1つは富士山でクワガタを見つけれ来れば否定することはできます。こちらは簡単ですが、逆にこの命題を肯定するとします。つまりは、富士山でクワガタがいそうなところを1つ1つ調べていき、いないことを示さなければならないのです。これは悪魔の証明と言います。
実際には本では養老先生のものを例にしているのですが、同じことです。
こういうことをしなければならない。
では、駄目なところだけを引き合いに出したとします。これは簡単ですね?
しかし、逆に先生達は1つでも間違いをおかせば駄目だとみなされることになります。果たしてこれはいいのでしょうか?

世の中に正しいと思うことは、ほとんどがなんてことはないことであります。つまり正しい=価値があるという考え方は否定されるものです。大概が曖昧なものです。脳死状態の子どもの臓器移植のようなことです。
そして、人間は絶対に過ちをおかさないわけではありません。これでは教員の方はちゃんと教育することは難しいでしょう。(まあ、大阪の取り組みはなあなあになって意味がないでしょうが…)

さて、いろいろと書いてきましたが、最も印象に残ったことだけを記します。
1)教育制度は惰性が強い制度であり、簡単には変えることはできない
2)それゆえ、教育についての議論は過剰に断定的で、非寛容まものになりがちである
3)教育制度は一時停止して根本的に補修するということができない。その制度の瑕疵は「現に瑕疵のある制度」を通じて補正するしかない
4)教育改革の主体は教師が担うしかない。人間は批判され、査定され、制約されることでパフォーマンスを向上するものではなく、支持され、勇気づけられ、自由を保障するされることでオーバーアチーブを果たすものである。

でも考えてみたら当たり前のこと。あなたは責められたりしたら頑張る人ですか?
内田先生の教育論を今日まとめるはずでしたが、読み進めて行くうちにこれは大変だぞという結果になり、一時中断しています。明日にはできるとおもうので別のものを…


科学でわかる男と女の心と脳 男はなぜ若い子が好きか? 女はなぜ金持ちが好きか? (サイエンス・アイ新書)科学でわかる男と女の心と脳 男はなぜ若い子が好きか? 女はなぜ金持ちが好きか? (サイエンス・アイ新書)
(2010/03/18)
麻生 一枝

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これは面白いです。男の浮気はもはやしかたがないものなんですね(笑)みたいな本でした。つまりは、人間も動物と大して変わらないということですね。ならば、ちゃんと人間という幻想をもつなら理性をもって欲を制することできればよいのでしょうな。
すいません。昨日は原因不明でネットにアクセスできなくなっていたので、更新ができませんでした。
それと、twitterのスパムDMを知らなかったためにご迷惑かけてしまったことをこの場でも言います。
本当に申し訳ありません。

以上報告です。(すでにDMは削除、パスワードは変更を行ったので現在は問題はありません)

本来は、今読んでいる教育論の本の紹介をしたかったのですが、多忙のため明日にさしてもらいます。
それではおやすみなさい。
おはようございます。久々の朝のブログ更新です。
今日も忙しいのは変わらないので、まあ朝に前倒ししようというつもりで書いています。
小説の件も全然すすんでいないですね。それでも明日には更新するつもりです。まあ、長編を書くつもりではないのでおわったらまだ書き切れていない作品も手をつけようと思っています。そのまえに自分のやつを読み直ししないといけないな…

さて、最近の読書でビールについて読みました。この本です。

ビール世界史紀行 ビール通のための15章 (ちくま文庫)ビール世界史紀行 ビール通のための15章 (ちくま文庫)
(2010/04/07)
村上 満

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この本にあることはビールはいかにしてできたのかです。
ビールは蘊蓄で飲むものではないのですが、学問と言うか文化として興味を持って読んでみるとへぇーと感心する内容が書いてあります。
たとえば、ホップ。ビールの苦みとなっているものですが、あれは元々殺菌作用があり、ビールを保存するために考えられたものみたいです。それは女性の修道院関係の人が発見したのですが、それがなかなか受け入れられなかったことを事細かに書いてあります。
ビールはヨーロッパではお水のような扱いだったというのがよくわかるとおり、消費量もすごい量です。だからこそ、いろいろと味の追求があり、保存の仕方も変わってきました。今のビールはピルスナーというものがほとんどですが、エールのようなものだったり、ランビックというものまでさまざまです。
こういうビールを楽しむ祭りである、オクトーバーフェストは日本でも開催されています。大阪ではどうやら9月ごろらしいので、来年これを読んだ人が興味を持ってくれるのを楽しみしています。

Ein Prosit!
試験が終わったというのに、慌ただしいので全然更新できないな。
とかいいながら、ちゃっかり本は読んでいます。
明日には、ドイツビールを堪能しながら書こうと思っていますが、なにぶん忙しい(いろいろな意味で)こともありどうなることやら…
まあ、なんとかしましょうかね。
すいません。また書けませんでした。予想以上に勉強に熱中しすぎたためです。申し訳ありません。
とまあことを書くよりもおいしい話から。
こんかいはビールです。
ワインは講説しながら楽しみますが、ビールにはそんなものは必要ありません。
まさにジョッキで語れです。ということでこの本を。
日本ビール検定公式テキスト日本ビール検定公式テキスト
(2012/06/20)
日本ビール文化研究会

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長かった試験もほとんど終わり、半ば春休み状態です。まあ、春休みと言えど、休暇はそんなにはないのですが…
まあよしとしましょう。
小説の方もぼちぼち再開するつもりです。
あとは何をしようか悩んでいる最中です。まったりとはいきたいですねー
プロフィール

水妖の音楽

Author:水妖の音楽
京都大好き大学生。
2009年 天文学会参加
2013年 サマーチャレンジ  
2015年 夏の学校
現在天文学を勉強中の大学院生
主にあわぎゃらくしーをやっていますが、銀河とつけばなんでも面白がります。
思想の根本は荘子であるため誰かしらに与することはしません。
身体論、哲学の類いの話も好きです。
趣味は読書とクラシックと絵画をみること山登り。
籘真千歳先生のファンです。
SFが特に好きです。森見登美彦さんも好きでサイン本を持つほど。ライトノベルは半分の月がのぼる空。ホラーなら玩具修理者。
クラシックはアリシア・デ・ラローチャやバーンスタイン、佐渡裕、カツァリス等が好み。
絵はマグリットやら、ルドン、川瀬巴水、ドミニク・アングル

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