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京大の一角が中核派によって占拠されたことは、人づてから聞いていた。
正直時代錯誤な感じが否めない。
Twitterで日本のデモはなんか違うという話を読んでよく分かると思ったのと同じで、基本的に考え方が0か1かという二進法。
首相が嫌いだからというのは結構だが、嫌いだから対話はしないというのは思考停止も甚だしい。
結局多種多様な考え方があるのだから、どうしても自分の思った通りに事が運ばないことはままあることで、それ自体を楽しめる人生は芳醇だと私は思っている。
嫌いだろうが、向こうの話を聞いて考えることこそ社会だと思う。
主義主張まことに結構だが、手を出す事だけは論外である。
戦争もしかり。
どれだけ腹わら煮えくり返っても、手を出すという事は一線を超えることに他ならない。
そして革命とは下品なものだし、結局のところ政治も下品なものだと思って理想を望むなら、伊藤計劃の『ハーモニー』の最後や、荘子のいうところになるだろう。
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勉強の仕方が分からないという話をよく聞く。
それは親の知り合いがよくよく話をするのだが、自分がどのように勉強していたかを思い出すと、他の人とは違うのだなっと感じる。
そもそも学校の勉強や、入試はある程度型が決まっている。
何のためにするかというと、どこまで理解して説明できますかということであり、それを見ることを考えるとやることは決まっている。
これ海外の哲学の問題と同じで、ある定型をしっかりと覚えることが大事になる。
定型はそれこそ問題を解くことである程度身につくものであり、職人芸と同じくできないところを繰り返しやって身体に覚えさせるようなものだ。
実際私の勉強もそれで論文も度々読んで内容を深く理解しようとしている。
1回でできるならそれに越したことは無いけど、論文でも知らないところだとそうはうまくいかない。
分野が異なるだけで使う表現が異なるからだ。
もちろん置き換えて考えるから少なくともすごく苦労することは無いのだけれども。
勉強も普通は問題を解くことで出来るようになる。
それから先は自ら発問することはやはりそれを評価してくれる人がいる。
それは高校の先生がおそらく最初になるだろう。
発問する癖は小学校からつけた方がいいのは体験談。
歌も芸術も漫画も本も、自分の好みで言うと今どきではない。
歌なんかはまさしくそれで、Mステによく出てくるような人らはまったく聞かない。
というよりも耳が辛いのと、歌詞が好きでないというのもある。
本の装丁も、今どきの装丁はダサいなと思う。
それに映画のタイトルもセンスがない。(まんま英語を日本語読みしていたりしててなんだかな〜と思う)
『The thing』という映画を「遊星からの物体X」という風にするとか、そういうのを期待しているのに。
あとディズニーはセル画のほうが好き。
ピクチャーズになってから見る気がしない。なにせ立体感はあるけど、あののっぺりかんは気味が悪い。
3Dだとリアルのように見えるというが、ロボットの不気味の谷のように私には気味が悪いものにしか写らない。
LDのころのディズニーの映画は結構持ってて、『クリスマスキャロル』とか『ダンボ』とかの絵が好きだ。
どうも、物理でいうところの計算機がなくとも工夫してやろうということは最近は無いらしい。
回帰してくれることを期待しているのだが仕方がないな。
エラー計算はいろいろと考えなくてはいけない。思うに系統誤差や偶然誤差の取り扱いは状況によって変わるからどうのように乗って来るのか1つ1つ検討した。
誤差は伝搬するのだが、それも独立で正規分布という仮定を考える。
これが正しいかどうかはもちろん検証しなければならないが、普通はだいたい正規分布になっていると考えるのが妥当。
計算は簡単で、平方和だから一番大きいエラーに左右される。
一応今やっている計算は検討が終えてまあ問題はないと思われる。それ以上に議論が必要なことが出てきているのだが…
今いる研究室の短期(とはいうものの3ヶ月くらいだからそこそこ長い)で研究に来ている人がスペイン出身ということでこの間スペインの話を聞いた。
文化の違いというのはさることながら、スペインは海を支配したことがあるだけあってなかなかに興味深い話も聞けた。
その中でもカナリア諸島がどこかを知らなかったのだが、そういう話も聞けて非常に有意義であった。
カナリア諸島には望遠鏡があるのだが、サハラの砂が飛んでくるらしい。
それでもなかなかに研究する場所としては良さげである。
風景を見ているとジュラシックパークのような世界だし、ユニークなコミニュケーション手段もあるらしい。
シルボというものらしく、カナリアが啼いているようなそんなものだった。
南京のあの事件を記憶遺産として残すということに関していろいろと話題になっている。
あれに関してはいろいろと話が錯綜し、何がどうだか判断するのは非常に難しい。
そこで、各々証拠だとするものを議論していく必要が有る。
だから、慎重に発言しなければいけないと思うのだが‥
量ではなく、戦争をしたり国家が武力で鎮圧したりというその行為そのものが忌むべきものだと思う。
どうして、双方ともに相手の傷を抉ることしかできないのか。
私にはよくわからない。
そういう気持ちにさせる話が多くて気が滅入る。
この言葉は自分が高校時代の校長の言葉である。
これを知っている人は、A先生のことだと分かる。
この話をするのはなぜかというと、研究の世界でも所謂王道というのがあって、そこではナンバーワンになることは決して楽なことではないということをだ。
ただ、今の流行というのは時期とチャンスがものいうし、さらにはこの先やっていけるかどうかは分からない。
また人気もあるということもあるから、人と同じことをしないようにと考えてもなかなかそううまくいかない。
そこで、王道から外れて面白いことをすると人がやっていないからオンリーワンになれると言うことだ。
ただし、それはニッチすぎると価値を分かってもらえないので、如何にこれが大事なのかを訴えかける必要がある。
しかし、私としてはニッチなほうが好きで、人と競争することが嫌いなこともあるのでオンリーワンを目指すほうがいい。
A先生の言葉が私の中で息づいているようである。
人間のあらゆるものは光によって支えられている。
光が無いといろいろと困る。
そもそも、光とは何ぞやという話をすると長くから割愛する。
光はエネルギーを媒介する。
そして、長時間でなければ光は劣化しない。
それは情報を遠い所まで伝えることが出来るということになる。
天文は光の学問で、TeVγ線だろうが、赤外、UV、電波から得られた情報を元に物理的に考察する。
ここに来るまでに、どのように劣化したとかや、どのように偏光しているとか、どれほどのフォトンが来たのかということが分かる。
星は遠くの灯台である。灯台は船乗りを無事に着陸させたり、位置を知らせる。星も同じことをしている。
それゆえに天文学を学ぶ人を誘導する。
天文学は物理にいろいろな題材を提供してきた。
最近ではハピタブル(私はこの言葉は好きではないが)ゾーンという生命がいる可能性を探ることをやっている。
つまりは、生命を作るには、生命の定義とはというのを考える好例となっている。
ケプラーの系外惑星探しもそれだ。
それもすべては光の情報を受けてだ。
しかし、光にも限界がある。
イオンの中だと光は進むことが出来ない。
そうなると、ビックバンの頃というのは光では見通せない。
だから、最近では重力波というものを利用している。
それでも灯台は重要な位置を占めている。
プロフィール

水妖の音楽

Author:水妖の音楽
京都大好き大学生。
2009年 天文学会参加
2013年 サマーチャレンジ  
2015年 夏の学校
現在天文学を勉強中の大学院生
主にあわぎゃらくしーをやっていますが、銀河とつけばなんでも面白がります。
思想の根本は荘子であるため誰かしらに与することはしません。
身体論、哲学の類いの話も好きです。
趣味は読書とクラシックと絵画をみること山登り。
籘真千歳先生のファンです。
SFが特に好きです。森見登美彦さんも好きでサイン本を持つほど。ライトノベルは半分の月がのぼる空。ホラーなら玩具修理者。
クラシックはアリシア・デ・ラローチャやバーンスタイン、佐渡裕、カツァリス等が好み。
絵はマグリットやら、ルドン、川瀬巴水、ドミニク・アングル

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