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天文学の歴史は長いけど、銀河となるとその存在が遠くかなたにあることが分かったのは、実はアインシュタインの一般相対性理論が出されたことよりも遅い。
それが今では系外惑星を直接撮像を試みたり、z~6(zは赤方偏移でおおよそ120億年前ぐらい)の天体を観測できる。
つまりは人間の感知できる限界はここ1世紀の間に劇的に変化したということである。
しかし、とはいうものの観測できると入っても、わからないことは山ほどある。
そもそも優れた可視光観測装置を持ってしても、天の川の銀河中心方向は見ることは原理的に不可能だし、ものによっては吸収する光が強すぎて、必要な物理量を測ることすらも困難だったりする。
挙げ句の果てに、地上では観測できないから宇宙に出して観測せざるおえない波長帯も存在する。
それゆえに、現在の天文学はいろいろと面白いことがある。
ガンマ線バーストという現象もここ10年あたりで注目されている現象で、理論モデルもなかなかに聞いていて面白い。
天文学はその対象が近くても38万キロというスケールだから、経験則的なものや、観測からモデルを制限したり、仮定をする。
だから、理論している人でも観測に関係していたり、装置の人でもサイエンスの話にも一枚噛んでいたりとしていて、ある意味狭い分野ではない。
最近では系外惑星の方面で生物系の人らと関係していたり、文献と天文学というようなコラボもある。
こんなところは他ではないと私は思っている。
単純に星綺麗だなではなくて、こういうところも興味を持って知ってほしいと思うのであった。
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ここのところ京都五山の紅葉を見にいっている。
それと今は一般公開もしている。
歴史を知るという高尚なことにはほど遠いが、感覚的に美しいものに触れることは非常にいい。
美しいものの前に言葉は不要だ。
寧ろ言葉でそれを表現しても感動がこぼれ落ちていくだけである。
さて、最近は観光客も増えた。
そのためいろいろとマナーが気にかかるが、それはやはりいい解決策が無い。
本来の意識は、観光する先の生活を乱さない程度というのを心掛けないといけないが、これは日本人でもそれができているとは言い難い。
それを見ると風情が無いので、なるべく人がいないところに行く方が気持ち的にはいい。
大衆という暴力が社会のあらゆるところに存在する。
今回もまた、ある意味では大衆の勝利だろうと思われる出来事があった。
まあ、オルテガの時代か大分遠く離れてはいるものの、その骨子となるところはまだまだ考えさせられる。
未来というのは不確定的であり、それゆえに現在過去(つまり歴史)をから演繹的に考える。
政治というプロセスはまさに長期的なものを考えてそのビジョンを遂行できる人の営みと考えられる。
そうなると、選挙でちゃんと見なければいけないことは将来に対してどういうビジョンを持っており、その実現に対して想定しうる困難と、解決方法を明記されているかどうかである。
そうすれば、問題についていろいろと議論ができ、素晴らしい時間となる。
一方でダメなものは、言葉巧みにあいつはあかんとか、俺の言うことが正しいと公言できる、いわば劇場型は信用できない。
それはあくまでも排斥であり、うまくいくことがあれば、誤った取り返しのつかないことになる危険性も孕んでいる。
ここではまだましなように書いたが、基本的に自分が正しいという人は軋轢をどこかに生じさせることが多い。
そもそも世の中のことは相対的であり、ある人たちにとっては有益なことが、別の人たちには害でしかないことが一般的なことである。
しかし、そういうのはきちんと納得いくまで話し合いをした結果、社会的にまーしゃーないなという感じで受け入れられたりするものである。
政治はまさに納得いく落とし所を探っていくプロセスでもあると私は思う。(時間制限はあるけど)
そうなると、他者を攻撃するような言論をする人は、そもそも相手の意図の深いところを捉えて、自分の身になって想像することが欠如している可能性がある。
別に情を持てというわけではない。人間というのは過つことがない完璧な存在ではない。自分は完璧だと思う人でも、そもそも人間というカテゴライズされた中での知識で、本当に奥深く考えているのかなんて甚だ疑問である。
私が思うにオルテガのいう大衆とは区別される人は、それこそ、聞き上手な人である。
今の世の中は、俺は、私は、自分はと自己主張の激しい社会である。
そこは他者の意見を聞いているようで聞いていない。
世の中に必要なのはディベイートではなくて、ディスカッションであることに未だに気がつかない。
それは、英語が話せればグローバルだという勘違いと同じくらいだ。
私はディベイートは心底嫌いだ。
それは生産的ではないからだ。
相手の論の悪いところをついていくことになんの意味があるのか。
だからいつまでもテロはなくならないのだし、戦争を止めることができない野蛮な種族のままなのだ。
こういうのは自己の正しさを訴える。
しかし、何が正しくて何が間違っているのかは分からない。
いや、今まで思っていたことは実は間違っていたということはないことはない。
こういう正しい、違うは執着であり、それが人間の業だと思うようになった。

ここのところ、いろいろな大きな出来事見てて思うのが、人間社会の分岐点がまさにここに来ているのではないかということだ。さらにはSF好きな私としては、フェッセンデンがまさに実験しているのではないかと思ってしまったりする。
つまりは、人間総体として、このような時代をどう考えて乗り切っていくかの実験体にされているのかもしれない。

ともかくこういうことを受けて、私は狂屈になりたいと思うのである。
つまりは真の意味で自由となりたいのである。

基本やり返しはどちらかが折れるまで続けると思う。
それははっきり言って生産的ではないし、どうも心の中を昇華できていないと思う。
復讐というのを否定するわけではないが、これは非常に難しい問題だと思う。
復讐する相手に家族がいてという話は、いろいろな小説で話としてあったりするが、そうでなくとも復讐というのは解決を与えない。
今回の事件は非常に痛ましいし、おおよそ発展した社会で起こるようなことではないと思う。
このことは、実は発展といいながらもその実中身が伴った発展ではなかったのかもしれない。
フェッセンデンの宇宙の最後には争いの無い星が最後に出てくるが、人間はいつになったら争いをやめることができるだろうか。
それを考えると復讐はやはり程度が同じだと思う。
一方はテロで、一方は復讐という名前だが。
ガンディーではないが、非暴力不服従という精神はないのだろうか。
それに人生は山あり、谷ありだ。
いいこともあれば悪いこともある。
ようは、今をしっかり受け入れることだ。
それで未来が議論できる。
最近では今を受け入れることが出来ない人が多いのだろう。
つまり、自己を誤魔化し、自分に嘘をつく。
自分探ししても自己が見つからないのと同じだ。

私は、フランスこそその気高き心で、報復ではなく毅然とした態度を貫けるものと思っていたのだが…
だが、私は当事者ではないから、所詮は他人事のように聞こえるだろう。
しかし、報復はやはり駄目じゃないかと思うのであった。
私がいろいろと人生を経験しておもったことは、不安に対してどのように対処できるかがその人の人間性を計れるものだということだ。
理由があって、不安というものは最悪逃げることはできる。
逃げることができるがゆえに不安をどう見つめるか、受け入れるか、突っぱねるかという行動を思い切って取れる。
他者を攻撃するのも、自分の不安から逃れるためである。
よく他人の不幸は蜜の味というが、それは自分の不安を他者の不幸を見ることでなんてことはないという風に考えられなくもない。
戦争も不安から来る。
人間の最大の不安はアイデンティティーの喪失である。
自分がなぜ存在するのかということは、誰しも思うことである。
そして、不安であるために神にすがったりする。
しかし、どれも不安とうまく付き合っていない。
自分は自分だと思い込まないとやっていられない。
健康でなければならない。
幸せでなければならない。
人間不安に勝つには思い込まないとやっていけない。
だけども、それはやはり狭い考えだと思う。
健康でなくっても、すごい幸せでなくてもいいじゃないか。
お金持ちじゃなくともいいじゃないか。
心にゆとりを持たせるというのは、そういった不安からの開放である。

森毅はある意味荘子に近いことを言っている。
人間は執着し過ぎるから、不安になり、やがて制御できなくなる。
執着は持ちすぎないことだ。
宗教はまさに執着で、よりどころで、ないと困ると思い込まないとやっていかないものかもしれないけれど、神はいないのだ。
逆にどこにでもいるのだ。
その辺の石や枯葉、それこそ犬のフンにもいる。
まあ、そういうものなのだ。

だから、今朝のあれも執着のある人の愚行だ。
戦争は嫌いだ。
テロも嫌いだ。
不安と付き合えないからこその愚行だからだ。
そういうわけで、言葉にできない想いを今日はずっと持っていた。
観測の話をみていると、結構ステップを踏むものに関して見ていると不定性だとか校正の話をいろいろと考えなくてはいけない。
自分のやっている観測は一つの像を得るのに、それこそ生データでも4枚いるし、さらにはディザリングをするとかける10とかするからもっと多くなり、それに対してバイアスだとかかかってはいけないかといって校正用のダーク、フラットを取らなければならない。
そうなるとある領域の観測をすると平気で15分とかかかる。
とはいえ、電波とかだと積分時間が15時間とかそういうレベルの話だったりするものもあったりするのでましといえばましかのかもしれないが…
高エネルギーだと、それこそXならば地上ではできないからこそ今も新しいX線望遠鏡を打ち上げようとしているわけだからまあ、雑多なものぐらいやらなくてどうするというのはある。
しかし、今回読んでいる論文でそれをやる必要が果たしてあるのかという疑問視されるものもあって、なかなかに面倒である。
まあ、こういう話を読んでいけばいろいろとアイディアが広がる可能性があるから、一概にダメじゃないと先入観で思い込むのはあかん。
ということを、しっかりと考えながら読んでいるのであります。
主義主張いろいろあるが、〇〇の政党は嫌いということを極端にして右だ左だとか言ったり、人格そのものを否定することがしばし見られる。
もちろん、今の政治がいいかどうかと訊かれれば、私はまああかんのとちゃいますかなと言うが、政党だとか人だとか嫌いだからという話では考えない。
とは言っても、政治というものは歴史を見る限り自転車操業なので不断ない努力が求められる。
その努力はたいへんだろうが、人のためと自分に嘘をついてまでやることではない。
それと政治はやはり頭のいい人がやるべきで、それこそ科学、人文問わず、広くそこそこ深い知識を持ち、謙虚で思慮深く、決めつけないで柔軟に判断できる人こそが求められる。
とは言うものの、そういうエリートな人はほとんど見受けられないが…
そもそも嫌いと感情で考えることは非常に簡単で、それだと思考停止に陥ることが多い。
それでは人間的営みではないから、感情とは別個で考える必要があるのだが、そうではないという感じを私はずっと感じている。
病名つけたがる医者はヤブ医者という言葉は、一刀斎が河合先生から聞いた言葉だ。
その意味は、病気というものなかなかに名前がつき難いような複雑な症状を示すものがあり、それに名前を付ける、いいかえると型にはめ込むというのをやりたがるというのは、非常に危険であるということだ。
病気はまさに場合によっては人の生き死にに関わり、慎重に考えなければいけないが、それをやっていては面倒だからとにかくこういう症状はこれだと思い込んでやるという節があると、まさに取り返しのつかないことになるかもしれないのである。
私は科学者の端くれだが、いろいろと分かった気になるけども、その実分かってないことが指数関数的に増えている感じがするのである。その状態は、寺田寅彦がいったまさに暗い夜道を明かりをつけてあるけば、照らしているところは明るくなるけど、影も一歩進むから分からなくなるのと似ている。
科学で法則だとか見つけても、それが進めば実はそれはあるところでは使えないのだと分かることはしばしばあり、そこが面白いと言えば面白い。
科学者はだから、本当は謙虚でなければならないかもしれない。
しかし、謙虚すぎるとあれなのでときにしっかりと主張をする必要がある。
ところが、その内心これもしかしたらという気持ちは持っていないといけないし、分からないということに慣れ親しまないとやっていけない。
何でも名前を付けたがる誘惑にかられそうになるが、それはやはり科学者の態度ではない。
まあ、悩んでいろいろ考えて最終的に出てきた山勘があたれば幸いだろう。
そして、なんとなしに名前を考えながら、やっぱちがうかもなと思えたらそれは素晴らしい研究者かもしれない。
(いいきらないのも、この話が果たして正しいかどうかわからないから)
浦沢直樹の『Monster』を読んでいる。
興味はあったが、本棚という制限と買ってまで読みたいと思うことがなかったので読んでいなかったのだが、談話室にあるのを見て最近読んでいる。
読んでみると、ケンパーをモデルにしたかのような人が出てきたりしてなかなかに面白い。
漫画でもテーマを重要視してて、単純にスポ根やヒーローものも悪くはないが、なんというかそれだけだと飽きてくる自分がいる。
特に勇気、友情、青春という言葉はあまり好かなくて、それよりかは"成長"というテーマの方が好きだ。(ヒカルの碁のように)
さてMonsterの話だけども、自分の中にいる怪物が大きく育ったというヨハンはサイコパスに思えてくる。(というかここ数年にアニメであった、とあるヒールがそれを模倣したような感じがする)
この手の話で、自分のなかでしっくりくるのが『悪の教典』の蓮実。
ただ、単純にサイコパスなのかというとそうでもないような気がする。
基本的にこういう人らには共感性がないか、弱いかである。
つまり、他者の気持ちを自己に投影することができない、または苦手としているということである。
でもそういう人は結構いるもので、サイコパス=異常殺人者という式は成り立たない。
ヨハンは長期的に計画を立てていたりするので、そういうところから見ても違うと思う。

それ以外にもいろいろと考えることが多い。
ということで非常に『Monster』が気に入ってるのである。
プロフィール

水妖の音楽

Author:水妖の音楽
京都大好き大学生。
2009年 天文学会参加
2013年 サマーチャレンジ  
2015年 夏の学校
現在天文学を勉強中の大学院生
主にあわぎゃらくしーをやっていますが、銀河とつけばなんでも面白がります。
思想の根本は荘子であるため誰かしらに与することはしません。
身体論、哲学の類いの話も好きです。
趣味は読書とクラシックと絵画をみること山登り。
籘真千歳先生のファンです。
SFが特に好きです。森見登美彦さんも好きでサイン本を持つほど。ライトノベルは半分の月がのぼる空。ホラーなら玩具修理者。
クラシックはアリシア・デ・ラローチャやバーンスタイン、佐渡裕、カツァリス等が好み。
絵はマグリットやら、ルドン、川瀬巴水、ドミニク・アングル

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